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2013年10月21日月曜日

小さな神様(石井光太さんの講演概要)


 石井さんは、震災犠牲者とその家族の集まる場所、遺体安置所を取材しました。何かに抗議しなければ気が済まない小学生の娘を流されたシングルマザー、それに対してひたすら謝り続ける市の職員、暗く冷たい空間で検死を続ける医師など、悲しみすらない絶望の空間に身を置く中、一点の温かいものをみつけました。
 それは毎朝五時半に安置所に来て、全部の遺体に声をかける葬儀社で働いた経験のある老人のことです。その老人は、死体ではなく遺体という気持ちで、遺体に対して尊厳が与えられなければ、遺族は二度とこの町で生きていけなくなる、生きていこうという気持ちが失われると、遺体と遺族に声をかけ続けていました。
 赤ちゃんを亡くし、毎日赤ちゃんの遺体のもとを訪れては謝り、泣き続けていた両親の前でこう語りかけます。「ぼうやのこと必死に助けたの知っているよね。天国に行ったらお父さん、お母さんのこと思ってくれるよね」
 それをきいた両親の安堵、遺体に語りかける言葉のぬくもり、この温かさを書きたくて「遺体」を書いたのだと石井さんは言います。
 そして、幽霊をみたという話が広がったことについて、お化けでもいいから会いたい、会いに来たとすがりつきたい遺族の気持ちに言及し、人間は弱いもの、すがりつかなければ生きていけないものだと語りました。
 ある遺族が「おなかまさん」(巫女)のもとを訪れ、「なんでみつからないの?」と尋ねます。「おまえは強い娘だ。僕はみんなが見つかった後で出てくるよ。悲しい思いをしている人たちの力になってくれ」と巫女はこたえたそうです。
 石井さんは、こうした宗教では支えきれない宗教の名が付かないものを「小さな神様」と呼び、この大切さを指摘します。合理的根拠がなくても、100%肯定できなくても「そうかもしれないね」という言葉があれば何とか生きていける人間もいる、小さな神様を肯定する意義について、世界各地の貧困現場を訪れた経験も紹介しながら話されました。
 そして、家族以外では医療従事者が患者の一番近くにいること、その医療従事者が「小さな神様」を大切にする気持ちを持って接することの意義を静かに語りました。そうした小さな神様によって救われる、それができる世の中が真に豊かな世の中ではないかと結びました。